2015年8月20日木曜日

書簡集 7

 八月二十日

 ……

 君は知っているだろうか。夏には二種類ある。暑い夏と涼しい夏だ。
 夏と言っても、いつだって厳しい日差しに入道雲、ひまわり畑と子供の笑い声、汗とセミ、というわけではない。灰黒色の天からの夕立、しぼんだ朝顔と唸る雨、いっときの風とひぐらし、というのも夏なのだ。暑い夏と涼しい夏とがあるのだ。

 さて、君は夏といえばどちらを思い出すだろうか。夏だけがいつでも懐かしく思い出される。夏はノスタルジーだ。浴衣だ、夏祭りだ。きりりと冷えた日本酒も夏ではあるが、夏そのものはそれではない。

 私はいつも涼しい夏ばかり思い出す。七夕を経て一月ほど経った、夕立の過ぎ去った夏だ。日は沈みかけ、あたりは青黒く染まってゆく時間で、私は実家の庭に生えていた雑草を見ていた。細長い葉と、これまた細く伸びた茎とがある。名は知らないが、どこか笹に似ていて、幼い私は七夕がまたやってきた、と思った。私の涼しい夏は、いつも七夕と結びついているのかもしれない。色とりどりに飾られた、華奢な笹は、いつも私を惹きつける。すうっと伸びて、風に揺られ、心地良く葉の掠れる音を鳴らす。そこにひぐらしの声が重なる。なんと懐かしい。

 だが、そうした記憶を揺さぶるのは、いつも暑い夏なのだ。暑い夏に、遠くで、それは幻聴かもしれないが、ひぐらしの音が聞こえる、気がする。そんな時にふと涼しい夏を思い出す。ひまわりも朝顔も、同じように夏なのだろう。

 夏も少しずつ終わりが近づいている。秋も冬も、その次に来る春も、そしてまた懐かしき夏も恋しい。