2014年1月24日金曜日

世界の数値化について

 何かが何かの「役に立つ」という事態を明確に規定することは出来ないか、と考え、私は「役立値(やくだち)」という概念を導入して、「A は B に役立つ」という命題の真理値に応じて役立ち度を考えることはできないか、と思った。全く役立たないものの役立値を 0 として、 1 までの実数値でその役立ちの度合いを考えることとした(任意の道具にたいして、それよりもさらに目的に適う道具が選び出せそうなので、厳密には役立値が 1 となる道具は現実存在しないこととする)。うまく実数値との対応をつけることができれば、役に立つという事態を事細かに説明することができるのではないか、と思ったからだ。
 もちろんすぐに批判がくることはわかる。たとえば、「ハンマーは裁縫に役立つ」と「包丁は歩行に役立つ」という命題の役立値は、どちらがより大きいのか。これは両方が役立値ゼロだ、ということが出来るかもしれない。あるいは、「石は釘を打つのに役立つ」と「凍ったバナナは釘を打つのに役立つ」とではどうか。直観的にどちらがより役に立っているのかを考えることは難しい。それだけでなく、この例においてはすでに「役に立つ」という事態をあるていど了解していなければならない。いやいや、経験されたことから理論を作っていゆく過程であるので、そうした経験から役立値を具体的に考えていこう、と言われるかもしれない。しかし、石と凍ったバナナのどちらが釘打ちに有用であるか、というような微妙な差は考えることは非常に難しい。それでは、要不要の線引だけをしてみよう、ということになる。それでもしかし、役に立つというのは、私たちが「役に立つと思う」という、「……と思う」というのが必ず付加されるような事態であり、それを役立値という実数値に落としこむことは人間の思考を数値化することに他ならず、これは不可能だ、という批判もありえるかもしれない。今回はこの批判について考えていこうと思う。

 人間の思考は本当に数値化が不可能なのだろうか。この世界は数値化が不可能なのだろうか。人間には、そうした合理的な精神によっては汲み尽くせないなにものかが潜んでいるのだろうか。
 世界の中の私は、いまここにいる。しかしそれは、ひとびとによって共通に測られている時間のうちでのいまであり、またひとびとによって共通に測られている座標のうちでのここである。究極的には、宇宙の始まりから時間的な目盛りを打ちつづけることで現在にいたることもできるかもしれないし、この宇宙の空間的な広がりぜんぶに方眼紙を敷き詰めて私のいる場所を定めることができるかもしれない。
 私の行動にまつわることはどうか。私が歩く際に踏む場所までは決められるだろうか。私の思考はどうか。歩く場所は確率によって決められるかもしれない。私の乏しい知識では、量子力学において電子の軌道が確率によって決められるように、私の歩く道、踏みしめる道の位置までもが確率によって決定されるかも知れない。私の思考も、私の身体によって生み出されるものだとしたら、脳の電気信号などを数値化するように、身体のあらゆる働きを数値化すれば分かるかもしれない。感情も然りである。もしかしたら、少々突飛ではあるが、私たちは出来のいいゲームの中にいるかもしれない。ゲームのキャラクターが、数字の列ですべて処理されるように、私たちを取り巻くこともすべて数字で処理されているとも考えることができるかもしれない。
 すべては机上の空論かもしれないが、それほどめちゃくちゃなわけでもないかもしれない。私もあまりこういった数値化が可能であるという議論に対して共感を覚えることは少ないが、そう考える余地はあるのかもしれない、と思った。

2014年1月11日土曜日

夜風に漂う

 ふんわりとした柔らかい風が私の髪を優しくすり抜けていった。夜のにおいがした。すこしあたたかい気もした。

 何年ぶりだろうか。
 今にも抜けてしまいそうな屋根の上を歩く。屋根が抜け落ちてしまったら軽くは無い怪我をするに違いない。滑って落ちてしまえば、骨だって折れるだろう。打ち所が悪かったら死んでしまうかもしれない。体が大きくなった分だけ、そんな要らない事まで考えてしまう。
  夜の海の底で、傾きの大きな屋根に仰向けになる。私が少し動く度にぎしぎしと屋根は悲鳴をあげる。見上げた空は無邪気な頃に見たそれとはまったく違って見えた。実際にまったく違っているのかもしれない。周りにいろんな建物ができたし、眼だって悪くなった。けどあの時よりは背も伸びた。ほんのちょっとだけ、空に近い。
 秋の夜にはどんな星座が見えたっけ。一つも思い出せないから、悔しくなって丸い月をぼんやりと眺めることにした。満月というには、少し左側が欠けている気がする。それでも十分に眩しくくっきりとした金色で、きんきんと空を照らす。
  月にはうさぎが住んでいる、なんて話を聞かされて、昔はずっと本当だと思いこんでいた。そんなわけないよ、と今の私は昔のわたしを諭すように呟いた。それと同時に、そんなわけないよ、と今の私が昔のわたしに諭されたような気持ちにもなった。忘れたのは、秋の夜空に輝く星座だけじゃなかった。

 昔から思っていたよりもずっと、秋の夜は明るくて暖かい。夜風も、それに乗せられる大気も、突き刺さるように鋭い月光でさえも、私のまわりで全て愛撫するような柔らかさを持つ。
 そんな暖かさの中で、私は自分の左腕を掴んだ。きちんと私の左腕は熱をもってそこにある。そうして空気との境界を確かめていなければ、いつそこに溶け込んでしまうか不安になってしまう。月を羨ましく思う。
  そういえば、いつもそうだ。
 私は自分に無いものばかりを欲しがって、手に入れられないのを悔しがって、涙を流してはまた満たされることのない欲をはる。それをいままでずっと繰り返してきた。いまは自覚している。けれどやっぱり欲張ってしまう。
 嫌な性格だな、と自嘲して体を起こした。携帯電話を開いて時間を見れば、もう「今日」は昨日になっていた。まだまだ星たちは眠ろうともしない。
  ひとつ欠伸をして、私はお休みなさい、と呟いて部屋に戻ろうと、立ち上がった。かさりと音をたてて、私の服に引っかかっていた落ち葉は夜風に漂い、やがて見えなくなった。あの月には届くのだろうか。私の気持ちを乗せた落ち葉は、どこまでゆくのだろう。
 誰が聞いているだろうか。私は夜の海の奥底でもう一度呟いた。

 「お休みなさい。」