2014年10月27日月曜日

ドゥンス・スコトゥス全集を買う

 後期スコラの代表人物であるヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの全集はインターネットで購入することができます。ところが購入できるページがイタリア語で、商品到着までの詳しい流れが分からなかったということもあったので、個人的なメモとして、さらにはこれからスコトゥスを読みたいと思った方のために日本語で纏めておこうと思います。

 購入は以下のページでできます。
 Frati Quaracchi - Collegio San Bonaventura -

 購入にはアカウントが必要になります。まずは住所・氏名等々の必要な情報を登録フォームに入力してアカウントを取得します。アカウントが正しく取得できると、ログイン中に、ページ左端の CATEGORIE の上に IL MIO ACCOUNT というカラムが表示されるようになります。そこでいつでも自分の登録情報を修正することができます。

 実際に商品をカートに入れると、ページ右端の CARRELLO に商品代金が表示されます。ほしい商品を入れ終えたら Check out を押して詳しい購入手続きをしていきます。購入手続きが完了すると、自動でメールが二通配信されてきます。すべてイタリア語で書かれていますが、買った金額と送付先住所の確認が為されます。
 ただし購入にはクレジットカードが使えず、口座宛に指定された金額を振り込まねばなりません。

 ここで一つ大きな問題があって、おそらくこのページはあまり機能していないのです。私は 2014 年 9 月 18 日に注文したのですが、振込先と最終的な振込金額が指定されたメールが届いたのはそれから一週間以上経った 9 月 29 日でした。(そのメールは英語でした。)それまでは、どうやってお金を振り込めばいいのだろう、と再注文してみたり、ページのあちこちを探しました。待たねばならないそうです。そして 10 月 2 日に指定された金額を指定された口座に振り込みます。振込は郵便局で行いました。口座を持っていなくてもできるのが便利です。振込手数料も比較的安いと思います。振り込む際には、手数料とは別に、口座登記料といって余分に 2 ユーロが必要でした。
 そしておよそ三週間後の 10 月 26 日に私の手元にスコトゥス全集が届きました。注文からは一ヶ月以上経ちました。けっきょく振込から手元に届くまでに、一切連絡は無く、振込確認のメールが届くとばかり思っていたものですから、金額が不足していたのか、それとも振込先の口座を間違えたのか、不安になってサイト経由で 10 月 17 日にメッセージを送りました。(が、結局返信はありませんでした。)

 ほんとうに中世のような時間のゆっくりとした流れの中で本を買うことができたのは非常に珍しい経験だとおもいます(もちろん中世だともっと遅かったでしょう。もしかしたら届かなかったかも)。ですが、急いで読みたい場合もあると思いますし、注文するときは早め早めにしたほうがいいかもしれません。

2014年10月22日水曜日

距離、近さと遠さ

 すこし日があいてしまった。呆けながらもいくつか本を読んでいた。卒業論文の執筆を始めている。四年間は短い。部分は全体よりも小さい。ゆえに、この冬はさらに短い。

 距離があるというのは幸せなことかもしれない。距離の構造が入っているからこそ、私達は二つの間の距離を測ることができる。私と太陽の距離は測ることができる。私と、誰かの距離も、ものさしを継ぎ合わせれば、たとえ遠くとも。
 比喩的な意味においても、距離は考えられる。私と、中世後期の哲学という舞台で活躍した彼はおよそ 600 年の隔たりを持っている。同じ尺度の上に立つことができるから。何かと何かの距離を測ることができるのは、私とあなたとの間に、なにかある共通の尺度、もっといえば共通なものがそなえられているからである。長さであり、時間であり、はたまた言語、人種、性別……。緑色の文字を見るとき、私もまた距離を感じ、同じ尺度の上に立っていることを思う。誰かと声を交わす時にもまた。

 哲学のことを少しだけ。
 私は中世スコラ哲学のことを卒業論文で扱っている。大学でデカルトを読み、授業でスピノザを聞き、友人たちとライプニッツを読んだ。あるいは家に篭って、今年の夏が盛り始める前に訳が出たジルソンのトマス・アクィナスについての研究を。彼らの思想において、私には神と被造物の距離が異なるように思える。トマスについては、その著作に触れたことが無いので大きいことは言えないが、デカルトもライプニッツも、強い反実仮想であれ「私が神になってしまう」ような事態を想定している。距離がある。トマスについては、その基本的な思想しか述べられないが、存在するものは「在りて在るもの」である神からその存在 esse を分有するかたちで在る。あるいは、在るかぎりで共通かもしれない。だがトマスによれば、それは類比的にあるに過ぎない。それでは、「存在それ自身」と規定される神と、その存在を分有している存在するものの距離や如何に?

 近づきすぎてはよく見えない。かといって離れすぎてはよく分からない。