2013年5月12日日曜日

芸術とそうでないもの

 芸術と非芸術の境界線はいったいどこに、どのようにして引かれるのであろうか。
 芸術と非芸術に明確な線引きができるとすれば、芸術には、芸術的な、芸術の本質となるような何かが含みこまれている、と考えることが出来る。しかし、それはおそらく明確には規定され得ない。一般的に芸術とは何か、と定義づけることが出来ないならば、私たちは個別に作品を見て、それぞれを芸術と非芸術を分かたなければならないかもしれない。しかし、その個別にみるやり方も、結局その都度芸術のイデアのようなものを参照するやり方となってしまっている。

 私たちはひろく芸術に触れている。しかし、それは定義という確固とした概念形成の営みからはするすると抜け出して行ってしまう。音楽なら音楽においても、どこからどこまでが音楽なのか、という問題については現在も考えられているようだ。

 小説を読んで、「これは芸術作品だ!」と唸る人もいよう。しかし、それは一体どういう意味で芸術作品なのだろうか。
 あらゆる小説が芸術作品なのではなく、なぜその人が読んだ小説が芸術作品なのだろうか。漱石を、川端を、鴎外を芸術だと持ち上げても、ライトノベルに対してそうした評価を下すものはそう多くはないだろう。単に文字列であるだけではならない。芸術的でなければ。
 文章は鮮やか、透明感があったりする。もちろん比喩なのだろうけれども、それは一体どういうった意味でなのだろうか。文章に対する印象は、結局自分のもとで考えられたものにすぎない。主観を、芸術のみが通ることの出来る関所にしてしまってもいいのだろうか。
 芸術と非芸術の国境は、絶えず流れ続ける川のようなものなのかもしれない。